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社員インタビュー

戸田 悠太Yuta Toda

野郎ラーメン事業部 商品開発

1985年生まれ/東京都出身。野郎ラーメン業態の商品開発を行いながら、野郎ラーメン品達品川本店などの店長も兼任。店舗の立ち上げから採用、店舗運営までを手がけている。休日は、勉強も兼ねて読書や映画鑑賞、スポーツ観戦を嗜む。評価の高い飲食店めぐりも好きで、一人でも多くの人に喜んでいただくために、新しい味の研究も重ねている。妻と子ども3人の5人暮らし。1歳・3歳・6歳の遊び盛りの子どもたちとの時間も大切にしている。

ともに働く社員たちには、自分の事業を通して、幸せな生活を送ってほしい。

一人でも多くの人に
幸せになってもらいたい。
一杯のラーメンを通して。

体脂肪率3%の日々のなか、
ラーメンだけが喜びだった。

ラーメンを一生の仕事にしたいと思ったのは、18歳の頃。高校1年生のときから、プロボクサーを目指してトレーニングにはげむ毎日のなか、喜びを与えてくれたのはラーメンでした。限界を超える毎日。何名もの世界チャンピオンを輩出していたジムに所属し、日本一といわれる厳しいトレーニングをこなしていました。なかでも厳しかったのは、食事制限。一番少ない時期で、体脂肪率3%のときもありました。今思うと、ストイックを通り越して、切羽詰まったような状態でしたね。唯一の救いは、ラーメン。厳しい練習の合間に食べるラーメンは、本当においしかった。たった一杯なのに、大きな感動が入っていた。ラーメンなしでは、人生を生きていけない。プロテストに合格した後、私はラーメンをつくる人になろうと決めました。

社長と二人三脚でつくった
野郎ラーメンのおいしさ。

社長と出会ったのは、20歳の頃。別のラーメン店で働いていたときに、「今度、新店を立ち上げるときに、ラーメンのプロデュースをしてくれないか」と声をかけていただきました。普通なら、なかなかない話ですよね。とてもうれしかったです。それが、野郎ラーメンの本当のはじまりでもあるので。今考えれば、すごいきっかけでした。それからは、社長と一緒に、年間900食くらいラーメンを食べて、研究に研究を重ねました。試行錯誤の末にできた野郎ラーメンですが、今でも「お客様にいつも、野郎ラーメンはおいしいね」と言われるために、味を変え続けています。

おいしく食べてもらえる。
単純ですが、一番の幸せです。

開発したメニューで印象に残っているのは、昨年の夏につくった「竹岡式ラーメン」という季節商品。千葉県のご当地ラーメンをアレンジした一杯でした。今年に入って、全店舗で去年の夏メニュー限定総選挙を行った際、その竹岡式ラーメンが1位に選ばれて、メニューとして復活しました。それからの反響がすごかったんです。お客様からは、「待っていたよ!」「やっぱりこれが1位だったんだ!」「また食べることができてうれしい!」という声をいただくことができました。開発をしている人間としての自己満足かもしれませんが、お客様が自分の商品を食べてくださっている、喜んでくださっているというのは、私にとって一番の幸せな瞬間です。単純なことですが、飲食店では、その当たり前のことに幸せがあるんだなって、再認識しました。

人生すべてを、
ともに生きてくれる会社。

私の夢は、一人でも多くの人に幸せになってもらうこと。その夢を叶えるためには、自分を助けてくれたラーメンを通してでしか、やる意味がない、生きている意味がないと信じています。だからこそ、「ラーメン屋は、肉体労働で、給料も安定しない」というような、ネガティブなすべての意見をひっくり返していきたい。「胸を張って、ラーメン屋をやっています」と言える人を、一人でも多くつくっていきたい。そのためには、自分が学んできたことを活かして、ラーメン屋を企業として成り立たせるということが、目標でもありますね。
フードリヴァンプであれば、この目標も達成できるはずです。個人の可能性を広げてくれる会社ですし、制限もありません。やりたいことがあれば、実現させるためにはどうすればいいのかを一緒に掘り下げて、すべて相談に乗ってもらえます。会社の体制や方針でもありますが、社員一人ひとりの夢を壊すことはありません。すべての人には無限の可能性が詰まっている、という考え方が魅力です。会社がやりたいからではなく、がんばりたいという社員がいるから、その事業を始めていく。従業員とともに成長している会社、従業員の夢をかなえる会社です。社員の成長と会社の成長は一緒だと感じています。社長も本当にいろいろな経験をしている方ですし、自分の人生を任せても、一つの心配もありません。社長も会社も、心から信頼しています。