MEMBER.03

社員インタビュー

須山 雅子Masako Suyama

156・スイーツ事業部 マネージャー

1993年生まれ/神奈川県川崎市出身。両親と弟の4人兄弟。専門学校2年生のとき、卒業旅行で仲間と一緒にバリ島へ行くことを企画し、その資金を貯めるために野郎ラーメンでアルバイトを始める。最終的に資金を貯められたのは、仲間のなかで自分自身だけになってしまったことで、バリ島には行かず韓国旅行となった。ラーメンを食べて喜んでいただいたときのお客様の笑顔が好きで、その後も野郎ラーメンでアルバイトを3年間継続。現在は社員となり主に鯛パフェのマネージャーとして活躍している。

もっともっと、
多くの人と出会って
多くの幸せに出会いたい。

人の幸せの瞬間に
立ち会いたかった。

小さい頃、両親が弟と私を外食や旅行に連れて行ってくれました。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」の声に、いつもワクワクしていました。何度か訪れたお店では、「大きくなったね」と声をかけてもらったことも。大好きな家族と一緒、笑顔で迎えてくれる店員さん、私の幸せの瞬間でした。そんな幸せの瞬間に数多く立ち会いたいなぁという思いから、ブライダルプランナーの専門学校に進学することになりました。お辞儀の仕方や話し方、目線の持っていき方、接客のイロハをいろいろと学びました。厳しい授業ばかりでしたが、人が笑顔になってくれる裏側には、こんな苦労があるんだなぁと学ぶことができました。

アルバイトをして、多くの人を笑顔にする
野郎ラーメンの魅力に取り憑かれた。

2年生のときに卒業旅行を企画して、その資金を貯めるためにアルバイトを始めたのが野郎ラーメンです。たくさんのお客様を笑顔にする野郎ラーメンでのアルバイトは、毎日が刺激的でした。専門学校では接客のイロハを学ぶことはできましたが、楽しさを知ることはできなかった。やっぱりお客様と実際に向き合う場所ではないと実感できないですね。資金を貯めようと入った野郎ラーメンでしたが、多くの幸せに立ち会える場所を発見しました。それから3年間、ずっとアルバイトとして勤務していました。

社員になったきっかけは、
私が変化したから。

あるときから「社員になりなよ」って声を掛けていただくようになりました。新橋店や秋葉原店、渋谷センター街総本店など、多くのお客様に訪れていただいている店舗を中心に勤務していましたが、忙しいのは大変だけど多くのお客様の笑顔に立ち会うことができる。私にとってはこれで十分だったので、社員の話はお断りしていました。それでも、熱心に誘っていただいたんです。だから、私もちゃんと考えました。私は野郎ラーメンで働いている皆さんが大好きです。一生懸命にお客様の笑顔のためにラーメンをつくって、接客をして。この会社を見渡したら、そんな人ばかり。それまではお客様の幸せの瞬間に立ち会いたいと思っていましたが、こんなに頑張っている社員の皆さんの幸せの瞬間にも役に立てるのではないかと考え始めました。責任は大きくなるかもしれないけれど、幸せの瞬間に立ち会えたときの喜びがもっと大きくなる。私にとっては重大な決断でしたが、社員になることを決めました。

チャレンジが
私を強くしていく。

社員になってから1年間は野郎ラーメン事業部で働き、2年目に156・スイーツ事業部に配属されました。それからは怒涛の毎日。配属されて1年目、鯛パフェが大阪に初出店した際には、立ち上げで1ヶ月間大阪に滞在。関東の店舗のことも心配で、連絡を取りながら大阪の運営をしました。2年目には、なんと関東と関西でほぼ同時期に出店。前回の経験も活かしながらでしたが、私にとっても大きな挑戦でした。フードリヴァンプには本当にいくつものチャレンジが待っています。その度にいつもどうやったらうまくいくのかを考えて、行動して、うまくいかなかったらやり方を変えて。乗り越えることができているかな?うまくできているかな?と、いつも不安になりますが、チャレンジが私を成長させてくれています。でも、私の行動の基本になっていることは変わっていません。多くの幸せに出会うこと。将来は、海外でもチャレンジしたいと思っています。これだけいろいろなことに挑戦してきたので、「次も大丈夫でしょ」って思っています。もっと多くの人と出会って、多くの幸せに出会いたいですね。