MEMBER.04

社員インタビュー

林 優治Yuji Hayashi

野郎ラーメン事業部 マネージャー

1987年生まれ/奄美大島出身。居酒屋を営んでいた父親の影響で、調理師の専門学校に進学した。卒業と同時に、都会に憧れて上京。東京都墨田区のステーキ店で料理人の第一歩を始めた。6年間働いた後、数字管理などの経営の知識を身につけたいとフードリヴァンプへ転職。野郎ラーメンや三ツ星餃子堂での勤務後、現在は野郎ラーメン事業部のマネージャーとして、恵比寿店と錦糸町店を担当。プライベートでは、妻と子ども3人と公園に行ったり、釣りをしたりしてリラックスできる時間を過ごしている。最終的な夢は、地元の奄美大島でお店を開くこと。そのお店が、フードリヴァンプのお店なら最高だと考えている。

ともに働く社員たちには、自分の事業を通して、幸せな生活を送ってほしい。

一緒に働くスタッフが、
楽しそうに働いていると、
私も笑顔になってしまいます。

お客様からの手紙で、
泣き崩れた。

私が初めて店長を経験した野郎ラーメン本郷三丁目店でのこと。必死にがんばってお店を運営しましたが、売り上げが振るわず、経営判断でそのお店を閉店することが決まりました。そのときに、常連さんからいただいたのは、直筆のお手紙。そこには、「また食べさせてください。」と書いてありました。私は、泣き崩れてしまい、しばらく仕事ができませんでした。もう二度と閉店するお店をつくってはいけないと強く思いましたね。その一方で、自分が提供してきた心を込めたラーメンのあり方は間違っていなかったという想いも芽生えました。悲しくもあり、うれしくもある。今でも思い出に残っているエピソードです。

ピンチを、
成長に変える。

現在、野郎ラーメン事業部のマネージャーとして、恵比寿と錦糸町の2店舗を統括。店長より上の立場を任されて、今までと景色が変わりました。やはり、自分自身が物事をわかっていないと、店長に教えることもできません。だからこそ、私もさらに勉強を重ねていきたいと思います。よく言いますが、ピンチはチャンスです。思い返せば、フードリヴァンプに入ったころの私は、料理人の経験しかなかったので、金銭管理やシフトの組み方など、店舗運営に関わるすべてを一から覚えていきました。今回も、在庫の発注方法や人件費の考え方など、一つひとつ先輩に教えてもらいながら、吸収している段階。難しいこともありますが、楽しく学ぶことができています。

やっぱり、
楽しさが大切。

私は、総勢25名のスタッフと一緒に働いています。一人として同じ人はいません。性格や年齢に合わせて、柔軟に対応するようにしています。やっぱり、長く続くスタッフは、いつも楽しそう。逆に、残念ながら辞めてしまう人は、見ていてつらそうにしている人が多いです。だからこそ、スタッフが楽しく働くためにはどうしたらいいのかを、いつも考えています。また一方で、楽しさだけではなく、経営理念である「三杯の想い」への愛情も大切。朝礼や会議などで唱和したりしていますし、店舗では、アルバイトも全員、見事に暗記しているくらい、この経営理念は浸透しています。私自身は、この理念の「世界中のお客様の笑顔を一杯にする」という部分が大好きです。特に、「世界中に」の部分が誇らしくて、ラーメンは全世界の国民食となり得るものなので、日本だけではなく、海外へも広めていきたいと思っています。

私のやりがいは、
一緒に働く人の笑顔。

直近の目標は、今私ができることすべてを、スタッフに教えていくこと。特に、自分自身の想いを伝えきるために、これからはもっと熱く話をしていきたいと考えています。まずはそこからです。私が想いを伝えられないと、今まで教えてくれた先輩方に失礼ですからね。その先には、自分のお店をつくるという夢があります。事業計画を立て、社長にお願いをして、前職のステーキ店での料理経験を活かせるお店を展開していきたいです。社長と話す機会も多いですし、たまにSNSで「がんばってるね」と連絡がくることもあります。いつも見ていてくれることがとてもうれしいですし、ますますがんばらないといけません。
フードリヴァンプに入って、4年。キツいときもありましたが、それを超える楽しさが今はあります。一番の喜びは、一緒に働いているスタッフがイキイキと仕事をしている姿を見ること。それが仕事をしているうえでの、生きがいです。何をやるかも大切ですが、誰とやるかももっと大切。みんなうるさいくらいに明るいですが、人と人とのつながりの良さを日々感じています。転職してからは、妻にも「だいぶ変わったね、楽しそうに仕事をしているね。」と言われます。家族にもそう話されるくらいなので、フードリヴァンプで働くことは、私にとって、とても幸せなことだと思います。長く続けていきたいですね。